こんにちは!ももたろ夫婦ブログのたろです。
田端信太朗さんの著書『自分を探すな世界をみよう』を読みました。
今回の記事では私の読書のメモとして、本書の言葉から感じたことや考えたことを発信したいと思います。
普段自己啓発本っぽいタイトルの本はあまり読まないんですが、常日頃Twitterで田端さんを拝見しているせいか、つい手にとって読んでみました。単純接触効果ですね。
心に刺さる言葉や共感できる言葉がたくさんありましたので紹介したいと思います。
本書では田端さんが息子さんとアメリカでキャンピングカー旅行に行った時の話も書かれています。
そして、私もアメリカのロードトリップにちょうど行ったばかりだったので余計に親近感が沸きました。
ということで私たちのアメリカ旅行の写真とともに、紹介に行ってみましょう。
- 人生の本当の分かれ道は、やるか、やらないかだ。失敗したらどうしよう?という恐怖心や羞恥心は、好奇心で打ち砕けばいい。
- 毎日の小さな選択の積み重ねの結果として今があり、大きな未来が作られていると思うからだ。
- 人の行動力の源泉にはいつも欠落がある。欠落とは現状と願望の差であり、この落差を感じた時に、人は自分で動くようになる。
- 自分で手や足を動かし、五感でモノを感じた経験こそが原体験になり得るということだ。どれだけ本を読んで、ネットで調べて知識を集めたところで、そこで知識として知っただけのものは自分の感性を形作る原体験にはなり得ない。
- 勉強をした方が人生は圧倒的に楽しくなる。疑問を抱き、知らないことを学び、できるようになり、そうやって身につけてきたものによって世界の見え方が変わる。もし今、君の日常が色褪せているならば、それは世界が悪いのではない。君のメガネが曇っているだけだ。
- 自分がバカだと気づけたら、そこがバカ脱出のスタート地点になるのだ。
- キレイなところしか知らないのではなく、両方知っている、両方できるからこそ振り幅が大きくなり、そこに人間としての深みや面白みが生まれるのだ。
- 家族であっても、全てを理解し合う必要はない。でも、だからこそ究極の他者、もっとも近い他人として、人生の1部分を共に過ごすという関係の中、ほんの一瞬でもいいから、何か伝わったかなと思えた時がかけがいのないものであり、尊いのだ。
人生の本当の分かれ道は、やるか、やらないかだ。失敗したらどうしよう?という恐怖心や羞恥心は、好奇心で打ち砕けばいい。
結婚でも、出産でも、転職でも、なんでも、全ての用意が整っている状態なんて永遠に来ませんよね。
判断する瞬間が来たときに、色々と理由をつけてやらないか、覚悟を決めてやるか、どちらかしかないということです。
本書では「いつの時代だって、やる奴はやるのよ、やらない奴はやらない」という矢沢永吉さんの言葉も紹介されています。
走りながら考えればいいじゃない。何かにチャレンジして成功したらそれはいいし、失敗しても飲み会のネタになると思えばなんでもチャレンジしてみればいいよね、と最近思えるようになりました。
立ち直れる失敗であればもはや失敗ですらない。なんでも人生経験になりますね。
毎日の小さな選択の積み重ねの結果として今があり、大きな未来が作られていると思うからだ。
毎日のわずかな選択の差が将来の大きな違いを作り出す。今日の行動/選択を続けたら、自分の夢や目標に辿り着けるだろうか、と自分に問いかけたいですね。
ちなみに今日は会社の飲み会の誘いを断ってブログを書いています。会社の人も好きだけど、自分の時間を何に使うのかに敏感でありたい。
会社の人には感謝しつつ、これ以上一緒に飲んでも何も人生にプラスにはならない。
なんとなく誘われた飲み会には行かない、その代わり勉強したりブログを書いたりする。この小さな積み重ねが自分の未来を作っていくと信じています。
私が好きな橘玲さんも『シンプルで合理的な人生設計』の中で、”選択の結果は累積する”とおっしゃっていました。
例えば、大学時代に留学をするという選択をしたことで語学力を身につけた結果、外資系企業に就職できるチャンスをゲットする。
今の選択は、将来の自分にどういうカードを与えられるかに繋がっていますね。
小さな選択の積み重ねが自分に運を回してくれると信じています。
人の行動力の源泉にはいつも欠落がある。欠落とは現状と願望の差であり、この落差を感じた時に、人は自分で動くようになる。
これは個人的な感覚ともすごく一致していて納得感がありました。
逆にいうと、現状に満足している人は行動するモチベーションが発生しないのではとも思いました。
日本の若者の投票率が低いとよく言われていますが、政治に対して意見をするモチベーションが湧かないほど現状に満足している、とも言えるのかもしれません。
また、子育てという視点で田端さんは本書の中で、”与えすぎることは、奪うことにもなりうる。” ともおっしゃっています。
欠落を感じないほどに与えすぎてしまうことは、子供が自ら動くためのモチベーションを削いでしまっているということになります。
まだ私には子供はいませんが、自分が父親になった時には思い出したい言葉になりました。
なんでも揃えてあげたい、と思うのが親心なのかもしれませんが、足りないことがあるからこそ自分で工夫をしようと頭を使うのだと思います。
自分で手や足を動かし、五感でモノを感じた経験こそが原体験になり得るということだ。どれだけ本を読んで、ネットで調べて知識を集めたところで、そこで知識として知っただけのものは自分の感性を形作る原体験にはなり得ない。
無意識では理解していましたが、言語化されてスッキリしました。誰かに言われたり読んだりしただけでは、自分を突き動かす原体験にはなり得ないんですね。
本を読んだり人から聞いただけで分かった気にならないように気を付けたいところです。
仕事でも同じだと思いますが、現場に行ったことがないやつには現場のことは語れないです。自分の目で見て感じたからこそ、手触りのある話ができるんだと思います。
勉強をした方が人生は圧倒的に楽しくなる。疑問を抱き、知らないことを学び、できるようになり、そうやって身につけてきたものによって世界の見え方が変わる。もし今、君の日常が色褪せているならば、それは世界が悪いのではない。君のメガネが曇っているだけだ。
私は大学生時代にはまともに勉強はせず遊びまくりました。また、アメリカに留学もしましたけど、現地でも遊び呆けていました。(結果として現地人と遊んでいたおかげで英語を身につけましたが。)
社会人2年目になって社会のことを何も知らずに仕事に忙殺されていた頃「いつまでこの生活を続けるんだろう」と思って、ようやく色んな本を読み始めました。
投資のこと、歴史のこと、人間の心理についてなど、本を読むうちに世の中の仕組みが少しづつ分かってきて、どんどん社会人として生きる世の中が面白くなったことを覚えています。
自分がバカだと気づけたら、そこがバカ脱出のスタート地点になるのだ。
本を読めば読むほど自分はどんでもないバカで何も知らないんだと思い知らされました。
社会人2年目の頃はちょっと仕事を覚えただけで全能感がありました。今振り返ると、典型的なダニングクルーガー効果で、自信過剰のバカな勘違い野郎でしたね。
でも、自分はバカだ、知識が足りない!と思えてから、貪るように本を読めるようになりました。
もっと大学で金融の講義をちゃんと聞いておくんだったと心から思いました。それでも社会人2年目で気付くことができてよかったと思います。
今まで自分が身につけて来た知識や経験に誇りを持ちつつも、常に新しいことを学ぼうとする謙虚さを大事に生きていきたいです。
キレイなところしか知らないのではなく、両方知っている、両方できるからこそ振り幅が大きくなり、そこに人間としての深みや面白みが生まれるのだ。
そういう発想は今までなかった!と思った言葉。どんな経験でも自分という人間に味付けをするスパイスだと思うと楽しめますね。
効率的な仕事のやり方だけじゃなくて、泥臭い仕事のやり方もできる人が強い。
人間って思ったよりも感情で動いている気がするので、色んな経験をして引き出しの多い人になった方が、人の心を掴める人になるのかなと最近感じています。
家族であっても、全てを理解し合う必要はない。でも、だからこそ究極の他者、もっとも近い他人として、人生の1部分を共に過ごすという関係の中、ほんの一瞬でもいいから、何か伝わったかなと思えた時がかけがいのないものであり、尊いのだ。
まだ子供を持った経験がないので、正直この気持ちはまだ分からないんですが、もし将来子供を持った時にこういう気持ちになるのか楽しみです。
本書の詳細が気になったら、是非手にとってみてくださいね。
いろんな本を読んでいると頭の中で繋がってくるので面白いですね☆
また私たちのブログに遊びに来てくださいね☆
下手くそな文章に最後まで付き合っていただきありがとうございました!
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