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考えごと

人生は「借りもの」だと考えてみる―ストア派哲学から学ぶ、手放すことへの向き合い方―

Photo by Aleksandra Boguslawska on Unsplash

時折、持っているものへの執着を感じることがあります。
お金、仕事、健康、そして家族。どれも失いたくないと願うのは自然な感情でしょう。

もっと言えば、「生きること」そのものへの執着もあります。

自分や家族が亡くなるときに後悔を残したくない!
できるだけ健康で長生きしたいし、死ぬことはやはり怖いものです。

しかし、どれだけ目を背けようとしても、人生は有限です。
自分の死は確実に近づいてきますし、いつか親も、パートナーも、別れの時を迎えます。

では、この避けられない現実と、どう向き合えばいいのでしょうか。
そんなことを考えていたとき、ヒントを与えてくれたのが、古代のストア派哲学でした。

エピクテトスの「人生は借りものである」という考え方

ストア派哲学者エピクテトスは、古代ローマ時代を生きた人物です。
彼はもともと奴隷として生まれ、身体的な障害も抱えていました。
決して恵まれた人生を歩んできたわけではなかったはずです。

それでもエピクテトスは、「人が幸福であるかどうかは、
外部の状況ではなく、自分の考え方次第で決まる」と説きました。

彼の哲学の中心には、有名な次の考えがあります。

自分でコントロールできるものと、できないものを区別せよ。
生まれた環境、他人の行動、運命、そして生死。

これらはすべて、自分ではコントロールできないものです。

エピクテトスは、こうした「自分の力の及ばないもの」に執着することが、人を苦しめると考えました。
その文脈で語られるのが、「人生は借りものである」という考え方です。

人生も、財産も、家族も、もともと自分の所有物ではない。

一時的に預かっている、借りものに過ぎず、いつか返す時が来る。
そう捉えてみてはどうか、とエピクテトスは示唆します。

この言葉に触れたとき、不思議と心が軽くなる感覚がありました。

「借りもの」だと考えることで、今を大切にできる

人生も、今の生活も、家族との時間も、すべてが「借りもの」だと考える。
そうすると、いつかそれらを手放すことへの抵抗感が、少し和らぐ気がします。

そもそも、自分が生まれたこと自体がコントロール外です。
どの国に、どの時代に、どんな親のもとに生まれるかは、完全に偶然です。

今こうして生きていることも、健康でいられることも、家族と出会えたことも、
すべては「たまたま授かったもの」に過ぎません。

そう考えると、
「失いたくない」「奪われたくない」と必死に握りしめるよりも、
「一時的に預かっているもの、借りているものを、丁寧に使わせてもらおう」そんな姿勢のほうが、自然なのではないかと思えてきます。

もともと借りていたものなら、いつか返すのは当たり前のこと。

返却の時期を自分で選べないのも、借りものである以上、仕方がありません。
だからこそ、返すその日までの時間をどう使うかが大切になります。

後悔しないように所有し続けることよりも、
感謝しながら、今この瞬間を誠実に生きること。

ストア派の「人生は借り物である」という考え方は、
死への恐怖を消す魔法ではありません。

しかし、避けられない別れと向き合うための、視点を与えてくれます。
たまたま授かった命と縁に感謝しながら、今日という一日を大切に生きていきたいですね。

最近は、そんなふうに考えています。

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