
時折、持っているものへの執着を感じることがあります。
お金、仕事、健康、そして家族。どれも失いたくないと願うのは自然な感情でしょう。
もっと言えば、「生きること」そのものへの執着もあります。
自分や家族が亡くなるときに後悔を残したくない!
できるだけ健康で長生きしたいし、死ぬことはやはり怖いものです。
しかし、どれだけ目を背けようとしても、人生は有限です。
自分の死は確実に近づいてきますし、いつか親も、パートナーも、別れの時を迎えます。
では、この避けられない現実と、どう向き合えばいいのでしょうか。
そんなことを考えていたとき、ヒントを与えてくれたのが、古代のストア派哲学でした。
エピクテトスの「人生は借りものである」という考え方
ストア派哲学者エピクテトスは、古代ローマ時代を生きた人物です。
彼はもともと奴隷として生まれ、身体的な障害も抱えていました。
決して恵まれた人生を歩んできたわけではなかったはずです。
それでもエピクテトスは、「人が幸福であるかどうかは、
外部の状況ではなく、自分の考え方次第で決まる」と説きました。
彼の哲学の中心には、有名な次の考えがあります。
自分でコントロールできるものと、できないものを区別せよ。
生まれた環境、他人の行動、運命、そして生死。
これらはすべて、自分ではコントロールできないものです。
エピクテトスは、こうした「自分の力の及ばないもの」に執着することが、人を苦しめると考えました。
その文脈で語られるのが、「人生は借りものである」という考え方です。
人生も、財産も、家族も、もともと自分の所有物ではない。
一時的に預かっている、借りものに過ぎず、いつか返す時が来る。
そう捉えてみてはどうか、とエピクテトスは示唆します。
この言葉に触れたとき、不思議と心が軽くなる感覚がありました。
「借りもの」だと考えることで、今を大切にできる
人生も、今の生活も、家族との時間も、すべてが「借りもの」だと考える。
そうすると、いつかそれらを手放すことへの抵抗感が、少し和らぐ気がします。
そもそも、自分が生まれたこと自体がコントロール外です。
どの国に、どの時代に、どんな親のもとに生まれるかは、完全に偶然です。
今こうして生きていることも、健康でいられることも、家族と出会えたことも、
すべては「たまたま授かったもの」に過ぎません。
そう考えると、
「失いたくない」「奪われたくない」と必死に握りしめるよりも、
「一時的に預かっているもの、借りているものを、丁寧に使わせてもらおう」そんな姿勢のほうが、自然なのではないかと思えてきます。
もともと借りていたものなら、いつか返すのは当たり前のこと。
返却の時期を自分で選べないのも、借りものである以上、仕方がありません。
だからこそ、返すその日までの時間をどう使うかが大切になります。
後悔しないように所有し続けることよりも、
感謝しながら、今この瞬間を誠実に生きること。
ストア派の「人生は借り物である」という考え方は、
死への恐怖を消す魔法ではありません。
しかし、避けられない別れと向き合うための、視点を与えてくれます。
たまたま授かった命と縁に感謝しながら、今日という一日を大切に生きていきたいですね。
最近は、そんなふうに考えています。


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